dustyのロードバイク日記

自転車関連のことについて書き留める備忘録的な何か

2022 AR日本橋 BRM1009 中山道リターン600をDNFした経緯

超久しぶりの更新です。内容はタイトルの通りです。

Twitterに書こうと思っていたのですが、長くなってしまいそうだったのでこちらでどのようにしてDNFに至ったのかの具体的な報告をできればと思い筆を執りました。

 

せっかくですので、DNFを決意したところだけでなく、スタートから順を追って話していければなと思います。

私のTwitterを見てくれている方への取り急ぎ報告用の文章なので、中身が薄く、読みづらいかと思いますのでその点ご了承ください。

 

結構長くなってしまったので、要点のリタイアの経緯だけ知りたい人は目次から一番最後の項目に飛んでください。

 

とりあえず、写真や画像は一切なしでお送りします。

気が向いたら後日、画像やら走行データを貼るかもしれません。

 

 

スタート 大阪 靭公園~通過チェック1 京都 三条大橋 距離:52km

2022年10月9日の午前6時、東京は日本橋を目指して大阪市の靭公園をスタートしました。

この区間は前日に逆方向から試走をして大阪入りしているため大体の感じは分かっていました。

試走時はグロス17.2km/hでしたが、本番では右折が少なかったことや大阪市内や京都の市街地区間の交通量がまだ少なかったことが功を奏し、グロス18.2km/hにて到達。

事前の走行計画はグロス17.0km/hで計算していたため計画から13分先行することに成功し、幸先のいいスタートを切ることが出来ました。

 

通過チェック1 京都 三条大橋~PC1 草津 セブンイレブン 距離:21km(73km)

逢坂山を越えて滋賀県に入ります。逢坂山で右車線に入らないといけない道路が2カ所くらいあり、予習不足のために迷って道確認のロスが発生しましたが、逢坂山自体は山が苦手な私でもそこまできつい坂ではないこともあり幸い5分程度の遅れ、区間グロス17.0km/h程度で到着。

滞在予定時間は15分でしたが次のPCの到着が15時前の予定なこともあり、10時半と少し早いですが弁当を食べて20分の滞在時間で出発。

これでも計画からは5分先行しており、次のPCの滞在時間は大幅に減らせるためかなり順調な旅路と言えます。

 

PC1 草津 セブンイレブン~PC2 大垣 ミニストップ 距離:76km(149km)

草津市街を抜けると徐々に信号が少なくなり走りやすくなりました。道も平坦基調で一時はグロス20km/h以上を維持できていました。

このあたりから旧中山道ゆかりの道を多く通るようになり、宿場町跡と思われる場所をいくつも通過します。

タイムに余裕が出てきたこともあり、車上からスナップ写真を色々撮りながら進みます。

 

余談ですが、けいおん!の学校のモデルになっている施設脇も通りました。

宿場町の間に突然現れて、完全に不意打ちだったのでびっくりしました。旧中山道沿いにあったんですね。

 

おそらく米原(適当なので注意)だと思うのですが摺針峠という1kmにも満たないですが平均勾配が10%と旧中山道からのあいさつ代わりとなる峠を迎えますが、ここまでほぼ平坦で足もまだあり、勾配も10%前後をウロウロするだけで、登れないような勾配はなかったのできついながらもここからの山道に備えたいいウォームアップという感覚で登れました。このあたりからわずかながらに雨が降ってきます。

ここから初めての岐阜県に入りますが、旧道の細い道に枝分かれしていく機会が徐々に多くなっていき、問題ないレベルの細々したミスコースを何個か犯します。

 

14時ごろ、ちょうど今須宿に入ったあたりから雨が本降りになりだしたところにちょうど屋根付き公衆トイレが出てきたのでトイレと雨装備に着替えます。

昨年の中山道は上半身にワークマンのイージスのみでしたが、今年はイージスを上下持ってきたうえに、シューズカバーも準備し、さらに使い捨てのビニールシューズカバーも用意し、現在所持している最大限の雨装備で挑んでいました。

 

そして約30分後にPC2に到着。区間グロスは雨装備への着替えを挟んだにもかかわらず、計画の18.0km/hを上回る18.3km/hで5分上乗せして到着。草津市街過ぎから米原辺りまでの区間が走りやすかったことが非常に効きました。

さらにここで昼食休憩するつもりで滞在時間を45分にしていましたが、草津で済ませたので、好物のプリンパフェを食べて20分強の滞在で出発できたため、25分弱の貯金を上乗せ。

計画からのトータルの先行は30分以上にまで膨らみました。

今回の走行計画は23分タイムオーバーでのゴールという計画だったため、わずかではありますが、認定完走も視野に入ってきました。

朝・昼・夜飯時に立ち寄るPCは全て滞在時間を45分に設定していたため、残り4食分を20数分程度に全て抑えられればもしかしたらイケるかも!と思い始めます。

 

PC2で同じく6時発組の方が一人いらっしゃったので軽くお話。

本来は予定になかったが260km地点の中津川で宿に入ろうと思っていると同時にDNF含めて今後の身の振り方を考えているとのこと。

聞くところによると、脚には自信がないから認定完走は狙っておらず、とりあえずコース完走を目標にしており、夜は木曽路のどこかで野宿の予定だったとのことで私と全く同じ思想、同じ計画で走っている方でした。

まぁ、私と同じタイミングにPCにいるということはそうでしょうね(クソ失礼)

 

今回の宿事情は260kmの中津川、320kmの木曽福島、350kmの塩尻の3カ所となっていましたが、木曽福島はチェックインが23時までで間に合わないため中津川か塩尻の2択になるわけですが、中津川だと後半戦の距離が340kmと非常に長くなるうえに、木曽路を含めて多くの山岳要素を残すことになり、逆に塩尻までいくと馬籠峠や長い登り基調の木曽路を越えた先にあるため、私の足ではそこまで行く頃には夜明け近くになる可能性が高く、非常に効率が悪いうえに、疲労により到達できないリスクも高い・・・

ということで木曽福島の道の駅で野宿という方針にしていて、この方もおそらく同じだったみたいですが、雨の影響で無謀だと感じて色々と考え直していたようでした。

 

私はこの時、計画から順調に先行していてノリノリだったこと、また今回は昨年と違って雨装備をフルで持ってきていたということもあり、「自分は腹くくってきてますし、実は今回リベンジマッチなので何がなんでもいきますよ!」的なことを笑顔で話していましたが…

 

そう考えていた私は手の施しようのない阿呆だった。

 

PC2 大垣 ミニストップ~通過チェック2 可児 ファミリーマート 距離:58km(207km)

意気揚々とPC2を出発しましたが、ここから少しずつ歯車が狂い始めていきます。

大垣を出発した後は、岐阜・各務原を抜けていきます。

この辺りは信号峠がキツイというのは事前に知っていたので覚悟はしていましたが、岐阜はともかく各務原が岐阜以上に酷い信号峠でした。

信号が青に変わって進み始めたら、2,30m先の信号が入れ替わりで赤になる場面に遭遇した時は道路設計のセンスを疑いました。さすがにあんな場面?交差点?に遭遇したのは初めてでした。

道路の高架を渡る際に、手押し系の歩道橋を同じ各務原市内で2回も渡らされたのも酷かったですね。

タイムはもちろんですが、なによりもそれを気にして余計な精神的ストレスがかかってしまったのが痛かったです。

 

また、雨が長時間続いた影響で雨が装備を貫通して徐々に体が濡れてくるようになりました。シューズに関しては既に完全に浸水していました。

正直、私は雨装備のことを過信しすぎていて、装備さえあれば大丈夫とばかり思っていたのでこれは反省すべき点だったと思います。

とはいえ、反省したところでこれに関してはDNSやDNF、もしくはめちゃくちゃいい雨装備を見つけて買う以外対策のしようがないのですが…

 

さらに、7月の宗谷600で浸水させて壊してしまい、買い替えたばかりウォークマンをこの区間でまたしても浸水させて壊してしまいました。

骨伝導イヤホンの充電のタイミングが来たのでPC2出発時に反射ベストの左胸ポケットに入れてたモバイルバッテリーから右の胸ポケットに入れてあるウォークマンについでで充電していた(出力が2口あるので)のですがおそらくその時ですね。

夜・峠・雨で通過チェック2以降こそウォークマンの真の出番だったのにやってしまいました。

にしても使い方が悪いのは認めますが、一応胸ポケットにはいれて完全な雨ざらしっていう状況でもないのにこうもあっさり壊れるっていうのはいくらなんでも耐水性なさすぎではと思う。

ウォークマンの仕様上、私のような極端なものでなくても雨の屋外使用なんて割と想定されるでしょうに…

 

話を戻して…結果的にタイムとしては、各務原を抜けた後は信号もまともになり、一部かなり少なく走りやすい区間が出てきてある程度取り戻せたので、結果的にはグロス19km/h目標に対して、18.3km/hで7分程度の遅れで済んだので大きな痛手にはなりませんでした。

道も平坦基調だったので体力的にはまだ元気だったので、ウォークマンのことは多少凹みましたが、気持ち切り替えて進み始めることにしました。

 

なお、ここでも晩御飯として45分滞在としていたのを35分で済ませたため、計画からは37分先行した状態で出発することとなりました。

 

通過チェック2 可児 ファミリーマート~PC3 中津川 セブンイレブン 距離:51km(258km)

お待たせしました、ここでこの記事の真打です。

通過チェック2で比較的順調に来てます!というツイートをした後にPC3でいきなりのDNF宣言に驚いた方もいるかいないかわかりませんけど、このわずか51kmの間に一体何が起きてDNFするに至ったかの経緯を説明させていただきます。

 

通過チェック2を出発して間もなくかえで街道をピークにした18kmに渡る登り基調の道に入りました。

18kmの平均勾配は2%ですが、10%前後のパンチの効いた登りが数キロ続く区間が3,4カ所ほどあり、残りは下りか緩い登りというメリハリのある山道でした。

ただ、私は"18kmのヒルクライム"としてとらえていたため、10%前後の登りが数キロ続く区間が出てきた時は、「これが10km以上も続くのか…」とかなりゲンナリしていました。

結果としてはこの区間は前半がキツく、後半はそこそこという感じだったので最終的には登り始めの時に受けた印象よりは楽に抜けられましたがかなり精神的にきつかったです。

なにより街灯がまったくない真っ暗闇の中を進まなければならないのが余計にきつかったです。

途中どこからともなく、「ピヤー!!ピャッ!ピャッ!」と女性の叫び声か、何かの動物の鳴き声か判断のつかないような物が聞こえてきて、本当に本当に本当に怖かったです。

そしてかえで街道を登り終わってダウンヒルに入りましたたがこれがまた昨年の東京出発ルートだったら確実に押し歩きしているであろうと思われるレベルの激坂を狭路で街灯のない真っ暗闇の中を本降りの雨の中下りていきます。

私はヘルメットライトにボルト400、ライトにボルト800を使っているのですが、めちゃくちゃ心配性なので、基本的には最大でもどちらかをミッド、どちらかをローという形で運用しているのですが、この時初めて両方ともハイモードにしました。それほどの状況でした。

しかし雨の影響でアイウェアには水滴がついているうえに、湿気のせいで霧も出ていたため、ハイモードで照らしたところで以前視界は悪いままでヒルクライムだけでなくダウンヒルでも大きく体力と気力を奪われました。

また、日が完全に暮れて気温が本格的に下がってきたことにより、雨装備を貫通してすっかりびしょぬれになってしまった体からさらに体力を奪っていきました。

 

PC3までの計画グロスは18.0km/hを目標にしていましたが、かえで街道終了時点のグロスは13km/h前後だったと思います。

ダウンヒルで遅れをほとんど取り返せなかったのが痛かったです。

かえで街道を終わった後には既に認定完走のことは一旦忘れようと思っていました。

 

しかしこの時はまだ認定外完走はするつもりでいました。

かえで街道は終わったし、PC3までのあと30kmくらいで区間グロスを15km/hくらいにまで戻せば立て直せると考えていました。

しかしそんな皮算用はすぐに打ちのめされます。

 

かえで街道が終わって大きな道路が見えたので合流するのかと思ったら、地図は直進を示して再び薄暗い田舎の細道に突入。

そして少し走ると10%中盤はありそうな激坂が目の前に出現。しかも1つだけじゃなく何個も出てきます。

ひとつひとつの距離は短いものの、パンチの効いた坂のアップダウンを登り基調気味に永遠走らされます。

しかも、かえで街道の時と同じように真っ暗闇の細い田舎道でです。

 

かえで街道が終われば普通の街灯のある道で、中津川まで平坦基調とばかり思っていた私にはこれ以上ないほど堪えました。

かえで街道が終わった段階で既に疲労困憊で雨と夜の影響から集中力も大きく落ち始めていたのですが、10%中盤の坂の2個めくらいに突入したあたりから、ただでさえ窮地の中なのにプランが悪い意味で外れたことによるショックでますます気力が奪われ、意識が朦朧としてきました。

なんとか走れはするものの首を真っすぐに座らせて走ることができず、思考力も低下しているのもはっきりと感じました。

 

この段階でPC3の中津川以降をこのまま休みなしで進むことは不可能であるとようやく悟って、自分の今後の身の振り方について真剣に考え始めました。

Twitterで散々痛々しいカッコつけたつぶやきしてる以上、最低限コース完走だけでもできないかと思案してみました。

そこで最初に考えたのは、ホテルに2,3時間ほど入ってそこで服を乾かしてる間に仮眠休憩して出発するというものでしたが、現在の体の状態を1,2時間の休憩でまともに走行できる状態に戻すのはまず不可能だと思いました。

しかも現在の悪天候はこのあともずっと続く上に、中津川を出発したらすぐに馬籠峠(8km,6%)、そのまま木曽路(50kmの間、標高400mから1000mまで永遠だらだら登り)、木曽路が終わると30km程度下り基調ですが、それが終わると最高標高の和田峠(13km,4.5%)、細かいきつめのアップダウンを挟んで笠取峠(5km,6%)、最後に佐久から軽井沢にかけての登り(5km,3.5%)と続きます。

かえで街道はハッキリ言ってプロローグのようなもので、本番は中津川以降であり、その本番の峠を全て悪天候の中、馬籠峠と木曽路に至っては冷え切った夜の中走らなければならないのでどう考えても無謀でした。

服も乾かしたところで、この天候では2,3時間のうちにまた浸水してしまうでしょう。

 

ではゆっくり5,6時間休んで出発するのはどうか?

そうなると日本橋に到着するのは深夜の3時や4時です。それも順調に走れてです。

これもどう考えても現実的ではありませんでした。

認定外完走で私が想定してたのは、制限時間から2時間オーバーの深夜0時、おおよそこのあたりまでを無意識でリミットとしていたことにこの段階で気づきました。

 

というか冷静に考えてみると、中津川で休むとなると残りが340km。

ということは24時間近く走らなければなりません。

やはり中津川でホテルに泊まる時点で色々と苦しい展開になってしまいます。

 

最終手段…もう1泊追加して11日の朝帰りにする・・・

これは流石にお金がもったいないうえに、12日から仕事なのでここまで無茶はできません。

 

ということで、ここまで考えた結果これはもうDNFしか残されていないということになり、PC3の中津川まで15kmほど残した状態でDNFを決断しました。皮肉にも昨年、東京発バージョンの時に塩尻市街手前で落車してDNFを決めた地点とほぼ同じくらいの距離での決断となってしまった。

DNFを決断したは良いものの中津川までの残り15kmは気力・集中力の限界も来ている中で相変わらず道は街灯のないアップダウンの道中心だったため、意識が途切れそうなところでしたがなんとか食いしばってPC3まで到達しました。

道がまともになったのはPCまで5kmを切ったくらいのところでした。

正直途中でそこそこ大きい恵那を通ったのでそのあたりで宿を探しても良かったし、実際かなり誘惑にかられたのですが、せめてもの意地というか一区切りはつけたいと思いPC3まで行きました。

 

ちなみにこの区間の最終的なグロス速度は13.2km/h。

途中諦めてからは真っ暗な道や激坂の写真を撮ったり、無理して速く走ろうとしなかったので、多少は遅くなっているかもしれませんがおそらく続行する気で走っても14km/hくらいが関の山だったのではと思います。

目標は18km/hだったためこの区間だけで1時間以上遅れて、前の区間から一変して計画から23分の”遅れ”になっていました。しかもこの中津川は3食の休憩ポイントではないため滞在時間は45分ではなく15分で計画していて、色々と計画が崩壊していました。

 

以上がことの顛末になります。

非常に煩雑で読みにくい文章になってしまい申し訳ありません。

 

ちなみにこの記事を書いている途中に今回のブルべの暫定結果発表がありましたが…

 

参加:40人 出走:21人 コース完走:5人 認定完走:3人

 

DNSを除いた認定完走率でもなんと約15%。昨年以上のサバイバルブルべとなってしまったようです。

まぁ、あの雨じゃそりゃそうだよなぁ・・・

 

反省点や良かった点等の総括的なことは気が向けばこの後ろに追記という形で書かせていただきますが、とりあえず今のところは取り急ぎ報告ということで一旦ここで終わらせていただきます。

 

お付き合いいただきありがとうございました。